早稲田進研セミナー 塾長日記(はてな版)

1997年春に開校した学習塾です。少人数クラス授業で運営しています。授業で

昨日はチェックテストを実施

普段は授業日以外にもチェックテストをやっていますが、

 

受験学年は今回北辰テスト対策を優先して、定期テストは自学に任せて

 

いました。北辰テスト当日できついかもしれないと取り敢えず、

 

英数をやってみました。

 

チェックテストをやる、というと嫌な顔する子もいましたが、強行。

 

すると、やはり嫌な顔をした子の点数が良くない。

 

100点取れた子はたったひとり。

 

もうひとり86点で他は50点に達しません。

 

学校のワークを仕上げていれば少なくとも80点はとれても

 

おかしくない問題レベルです。

 

とくまずいのは、計算問題で正解を得られていない生徒が多いことです。

 

現在の高校生ときの最頻値は94点でした。

 

かなり出来に差がついてしまいました。

 

この数学のチェックテストの結果だけで、

 

普段の頑張り度はわかりますね。

 

北辰テスト対策だって余念なくやっていましね。

 

あと2日と3日あります。

 

もっともっと自分を追い込んでいかなければいけませんね。

 

 

目の前のテスト範囲に全力で取り組め

昨日の北辰テストの問題を中3と見ながら、近くにいた中1にその問題を

 

見せてあげた。現在中間テスト範囲で勉強している問題がかなりの数出題されて

 

いた。社会の歴史の問題。

 

少なくとも、20点から30点分は出題されていた。

 

いかに定期テスト範囲の勉強が有効かということが中1生にも

 

実感としてわかったことだろう。

 

中1の2学期の最初の段階で、北辰テストの社会を受験したら、

 

少なくとも20点は確実にとれることなるということだ。

 

だから与えられている定期テストの範囲に全力で取り組むことが、

 

受験で成功するキーであることがこれでわかるだろう。

 

 

 

受験生は忙しい

今日は2学期2回目の北辰テスト。さらに3日後には中間テストがあります。

 

多くの受験生は、北辰終了後の2時間後には塾に入って定期テスト勉強に励んでいます。

 

目の前に押し寄せる課題を、ひとつひとつこなしていくことを求めれているわけです。

 

その課題に立ち向かっていくのか、

 

その課題をスルーしていくのかによって、どの程度の高校や大学にいけるのか、

 

さらにどのような組織に入って行けるのかが問われているんですね。

 

そしてそれが将来の生活をある程度決定してしまうのが、

 

今の日本社会です。

 

ひとの寿命のまだほんの初期の15歳や18歳の春にある程度人生が

 

決まってしまう社会の仕組みもどうかと思いますが、現状を嘆いても

 

何も変わりません。

 

自分をこの社会の中で、いかに優位な立場にもっていけるのかという、

 

ある意味厳しい戦いが静かに行われているのが、学校生活なのです。

 

 

 

 

 

小学校の社会の水準

それにしても最近の学校のレベルには驚かされます。

 

小6の社会の歴史のテストを見せてもらいました。

 

中1とほとんど同じ範囲です。

 

私の頃は比較的難しいものをやっていたように思いますが、

 

近年、その様子が激変しているようです。

 

小学校の理科社会は、うちの塾では扱っていないために、

 

どのようなものか知らないのです。

 

中学受験レベルは入試問題が説明会で手に入るためにわかっているのですが、

 

学校の普段の授業レベルは知らなかった。

 

 

それでテストを見せてもらうと、都の遷都は、平城京平安京位であと長岡京

 

位だと思っていたら、紫香楽宮(しがらきのみや)や恭仁(くに)や難波宮(なにわのみや)などが出題されていました。

 

中学校でだってやっていません。

 

さらに行基(ぎょうき)の場合、宗教活動だけではなく、土木工事の

 

具体的な内容にまで触れているのです。

 

池やみぞ、堀などが何か所、という具合に詳細出題され、

 

さらに大仏をつくるために、鉱山資源が全国から集められたことや、

 

その建築で働いた労働者の人数などが出題されているのにはびっくり。

 

 

小学生も大変ですね。

 

どれくらいの生徒がこういった水準の問題をものにできているのか

 

心配になりますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

4市テストの出来

9月上旬にあった4市テストの成績が返ってきましたね。

 

予告通り、北辰テストよりは全般的に高い偏差値が出ています。

 

生徒のひとりが、「どうして?」というので説明しました。

 

4市の地域が全県の中で学力が低い地域になるからです。

 

昔は北辰テストは、毎回のテストの上位者を「前進」という冊子にまとめて

 

くれていました。

 

その上位者のわきには、上位者の住所の郵便番号が記載されていました。

 

それで市ごとの上位者がわかったのです。

 

入間市飯能市の中3の中で、偏差値70越えは、入間市11人飯能市8人というのが

 

平均人数でした。

 

11人と8人というのは、ちょうど学校数と同じです。

 

各学校にひとり70以上がいたということです。

 

浦和市を数えると、楽に30以上はいて、

 

小さい文字の郵便番号を拾うのが嫌になったものです。

 

 

やはり全県内では浦和市が抜きんでていました。

 

現在もたぶん同じでしょう。

 

 

学力は、地域によって格差があるというのは、

 

研究者によって検証されています。

 

だから、昔から私がいっているように、

 

北辰テストの50(学力の真ん中)という偏差値では、

 

高校になったら10下がって40になるのです。

 

北辰テスト偏差値でMARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政)の

 

付属高校は、65~70になります。

 

ここから10引いた55~60あたりが大学受験での偏差値です。

 

明治あたりだと62位はあります。

 

北辰テストだと72ということです。

 

川越高校は偏差値67です。

 

だから、川越高校の全生徒がMARCHに合格できるわけではなく、

 

上位30%にいて初めて、合格を勝ち取れるのです。

 

だから偏差値60あたりの高校では上位の一桁のひとしか

 

合格できないのです。

 

4市でいうと、偏差値68ほどとれるとMARCHへの道が開けることに

 

なります。

 

 

 

 

 

 

授業は受けての生徒によって変わる

昨日中1の授業は理科と社会。

 

理科は化学分野。中学生があまり得意とする単元ではない

 

溶解度。小学校5年生で習う少数の計算が出てくるのですが、

 

ゼロ以下の数字が出てくると苦手意識が先に立つようです。

 

食塩水の濃度も、理科と数学で出てきます。

 

小5のときに練習量が足りないから、苦手意識を持つことになるんですね。

 

溶解度の問題のキーポイントは、温度によって飽和水蒸気が変わってくるため、

 

その温度の差を利用して結晶を取り出そうというものです。

 

慣れれば簡単。

 

 

社会は奈良平安時代

 

大化の改新をめぐる勢力争い。

 

日本を国家として統一しようとする時代ですね。

 

また宗教の力によって国を治めようとする時代でもあります。

 

聖武天皇の時代です。

 

遣唐使廃止を助言した菅原道真も出てきます。

 

当然学問の神様の大宰府の話にもなります。

 

そこで菅原道真を左遷に追いやった人々に降りかかる様々な怨霊のことも

 

話しました。

 

あまりにも才能の豊かな菅原道真を妬んだ人たちが、道真を

 

九州の大宰府に左遷し、その死後に起こった数々の禍なども。

 

落雷によって落命したひともいたとか、とにかく菅原道真の左遷に関わったひとびと

 

のほとんど命を落としているのですね。

 

10人ほどの人が祟りで死ねば、さすがに何かあると思うでしょう。

 

そこで大宰府を作って奉ったという話。

 

現在と違って、当時の宗教の力は絶大ですから。

 

現代では、客観性を求める時に、科学的根拠を示せ、となって、

 

科学的根拠が示されたら、納得する運びになりますが、当時の宗教の

 

扱いが、現代の科学だったのです。

 

 

あと、時代は飛んで、織田信長の滅びについての話とか。

 

なぜ明智光秀は親分である織田信長に反旗を翻したのか?

 

これは、遣唐使の話から、最澄空海の話になったとき、

 

最澄が開いた比叡山は、織田信長の時代に焼き討ちにあっていて、

 

仏像などは「ただの石ころだ、壊してしまえ」などといって

 

宗教をつゆとも重んじなかったり、天守閣の建築などは、

 

自分が神よりも上位に来る存在だということを知らしめるための

 

建築物で、そのことを知るようになった光秀が、神まで冒涜する親分を

 

許せなくなって本能寺の織田信長を包囲して自害に追いやったなど、

 

こういったエピソードを織り交ぜた授業になったのです。

 

生徒が、菅原道真織田信長のことがやっと繋がりました、

 

という相槌が、私の話をより長くしてしまい、

 

答え合わせが長引いてしまうのですが、授業というのは、話の受け手によって

 

どのようにも変化していきます。

 

おかしな話で笑いをとる授業もいいのですが、ひとが潜在的に持っている

 

未知のものを知りたいという知的欲求を刺激する方がより一層面白いものです。

 

この知的欲求の充溢を一度知ってしまったひとは、

 

芸人のその場限りの笑いでは、満たされなくなり、もっと知りたいという欲求が

 

あまりにもたくさんあるために、人生退屈するときが無くなります。

 

人一人の知識量なんて、この世の事象から観たら、雨粒の1滴しか過ぎないのです。

 

受験勉強も必要ですが、この知的欲求を求めるようなひとになるためにも、

 

勉強が必要なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ5でも

通知表が5と評価されると、その科目はもう十分だと思う保護者の方が

 

多いと思います。

 

けれども、何人もの5の子たちをお預かりしてきているので、

 

肌でその違いを日々感じていますのですが、同じ5でも相当の開きがあることも

 

実際あります。

 

1時間の授業で、取り組める問題数が2倍程度に開くことなど珍しくありません。

 

実力が一番わかるのは、入試模擬テストや実力テストで判断してみることです。

 

学校のテストでは同じ90点なのに、入試模擬テストだとかなりの得点差になることは

 

珍しくありません。

 

 

どこからその差は生まれるのか?

 

やはりテストがあろうがなかろうが、日々の習慣として机に向かっているのか

どうかということです。

 

テスト直前に一夜漬け程度にやっても、すぐに忘れてしまいます。

 

記憶は、長い時間かけて覚えたものは、長い時間忘れないものです。