昨日中1の授業は理科と社会。
理科は化学分野。中学生があまり得意とする単元ではない
溶解度。小学校5年生で習う少数の計算が出てくるのですが、
ゼロ以下の数字が出てくると苦手意識が先に立つようです。
食塩水の濃度も、理科と数学で出てきます。
小5のときに練習量が足りないから、苦手意識を持つことになるんですね。
溶解度の問題のキーポイントは、温度によって飽和水蒸気が変わってくるため、
その温度の差を利用して結晶を取り出そうというものです。
慣れれば簡単。
社会は奈良平安時代。
大化の改新をめぐる勢力争い。
日本を国家として統一しようとする時代ですね。
また宗教の力によって国を治めようとする時代でもあります。
聖武天皇の時代です。
遣唐使廃止を助言した菅原道真も出てきます。
当然学問の神様の大宰府の話にもなります。
そこで菅原道真を左遷に追いやった人々に降りかかる様々な怨霊のことも
話しました。
あまりにも才能の豊かな菅原道真を妬んだ人たちが、道真を
九州の大宰府に左遷し、その死後に起こった数々の禍なども。
落雷によって落命したひともいたとか、とにかく菅原道真の左遷に関わったひとびと
のほとんど命を落としているのですね。
10人ほどの人が祟りで死ねば、さすがに何かあると思うでしょう。
そこで大宰府を作って奉ったという話。
現在と違って、当時の宗教の力は絶大ですから。
現代では、客観性を求める時に、科学的根拠を示せ、となって、
科学的根拠が示されたら、納得する運びになりますが、当時の宗教の
扱いが、現代の科学だったのです。
あと、時代は飛んで、織田信長の滅びについての話とか。
なぜ明智光秀は親分である織田信長に反旗を翻したのか?
これは、遣唐使の話から、最澄、空海の話になったとき、
最澄が開いた比叡山は、織田信長の時代に焼き討ちにあっていて、
仏像などは「ただの石ころだ、壊してしまえ」などといって
宗教をつゆとも重んじなかったり、天守閣の建築などは、
自分が神よりも上位に来る存在だということを知らしめるための
建築物で、そのことを知るようになった光秀が、神まで冒涜する親分を
許せなくなって本能寺の織田信長を包囲して自害に追いやったなど、
こういったエピソードを織り交ぜた授業になったのです。
生徒が、菅原道真や織田信長のことがやっと繋がりました、
という相槌が、私の話をより長くしてしまい、
答え合わせが長引いてしまうのですが、授業というのは、話の受け手によって
どのようにも変化していきます。
おかしな話で笑いをとる授業もいいのですが、ひとが潜在的に持っている
未知のものを知りたいという知的欲求を刺激する方がより一層面白いものです。
この知的欲求の充溢を一度知ってしまったひとは、
芸人のその場限りの笑いでは、満たされなくなり、もっと知りたいという欲求が
あまりにもたくさんあるために、人生退屈するときが無くなります。
人一人の知識量なんて、この世の事象から観たら、雨粒の1滴しか過ぎないのです。
受験勉強も必要ですが、この知的欲求を求めるようなひとになるためにも、
勉強が必要なのです。